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教祖 吉田まゆみ その3

2004年、吉田まゆみの人生において大きな転換期を迎える。この年に、700ドルを稼ぐ為に目薬の治験に参加する。この治験で知り合った参加者達に、ハワイで誰かヒーラーを知らないかと訪ね、その中の1人の占い師の女性からハワイのシャーマンを参加してもらう。その女性占い師にシャーマンへ連絡を取ってもらい、吉田まゆみはシャーマンに人生の相談をする為シャーマンと会えることとなる。吉田が初めの相談をした時に、シャーマンの力は今までのどのヒーラー達に比べて本物だと確信し、シャーマンから週末に暮らすを取ることにした。
シャーマンからの授業を受けた後、興味のある友人が日本語しかわからず、通訳する事となり、それがシャーマンの通訳をするきっかけであった。吉田まゆみはシャーマンの通訳をする事で、よりスピリチュアルな生活を学び、シャーマンの通訳者というだけで依頼者から尊敬されるのだと感じ始めた。家庭では家政婦のように扱われていた吉田には、いつも他人からよく思われたいという気持ちがあった事から、シャーマンの通訳をする事が自慢になっていた。また自身より年下のシャーマンを他の誰にも取られたく無いと、吉田は今までのクライアント達にシャーマンとのドラマチックな運命の出会いの話を3種類ほど作って伝えているが、どれも出鱈目である。実際の出会いである、シャーマンの知り合いの占い師から紹介されたという事実を、今まで誰にも話した事はない。既婚者にもかかわらず、吉田まゆみのシャーマンに対する執着心は強く、シャーマンの若いクライアントに対して威嚇する行動は目に余るものだったという。
その後、数年シャーマンの通訳を続けるうちに、シャーマンが言う事を真似れば自身もヒーラーとしてやれると考え出す。特別な修行など一切していなかった吉田真由美だが、自称チャネラーやメディスンウーマンとして活動し始める。そして2008年にアイシスレインボーヒーリングを主宰として始める。これが教祖吉田真由美の原点である。表向きは、ハワイのレインボーヒーリングからの暖簾分けの様な位置付けとしてアイシスレインボーヒーリングを始めたが、実際の活動内容はハワイのレインボーヒーリングとは全く違い、吉田真由美を先生とはやし立てゴマをする者を優遇する吉田真由美が私服を肥やす為のカルト紛いの活動内容であった。日本でワークショップを開催することが増え、レインボーヒーリングジャパンという名で、ハワイのレインボーヒーリングの顧客を取り込み、よりクライアントを支配する団体とした。なんの修行もしていない吉田がクライアントの為に出来ることは当然限られており、その度にシャーマンの存在を使って難を逃れてきた。吉田真由美は人格がすでに出来上がっている大人を対象にするよりも、子供の方が思い通りに操れる事から子供を中心とした活動を始めようと計画する。そこで2011年に魔法の学校を始める。

by karutobakuro | 2018-06-16 14:30 | 一般社団法人 詐欺次元スクール